俺は昔からおばあちゃんっ子でした。小学校3年生の時におじいちゃんが亡くなり、一人になったおばあちゃんは書道を始めます。
おばあちゃんは若い頃は学校で優秀だったらしく、60過ぎて書道を始めすぐに書道の師範になりました。俺も毎週おばあちゃんの家に習字を習いに通うようになりました。
当時の俺はゲームが大好きでした。書道を習ったあとは、毎週のように池袋のビックカメラに行きゲームを買ってもらっていました。
自転車の練習もおばあちゃんの家の前でしたり、近所のみかんの木でアゲハチョウの幼虫を捕まえたりと小学校の時の思い出が沢山あります。
おばあちゃんの家にはオセロがあったのでよく相手になってもらいました。オセロはすぐに上達して、友達とやっても必ず勝てるようになりました。肝心の書道も上達して、中学校に入る頃には初段をとることができました。
ところが中学校に入ると「中間テスト」などがあり、内容も難しくて授業についていくことが出来なくなっていました。中学校の勉強の成績が悪くて1番心配していたのは、父でも母でもなくおばあちゃんでした。
父いわく、昔は教育ママだったようでどこからかSAPIXという塾を探してきて入塾テストを受ける事になりました。
当時父に連れられてSAPIXに行ったので、てっきり父が入れたかったんだと思っていましたが、これもおばあちゃんの考えだったと後から父に聞かされます。
しかし、最初の入塾テストは馬鹿すぎて落ちてしまいました。当時の俺は公立の中学校で、真ん中よりずっと下の成績だったのです。
親なのかばあちゃんなのか、諦めなかったようで入塾テストを2回目受ける事になりました。
忘れもしません、この時は入塾ラインが181点のテストで184点でなんとか入塾を果たします。偏差値は数学が20台、英語が30台、国語が40台でした。当時は偏差値を知らなかったのですが今思えば酷いものですね。
SAPIXにはクラスがあって3クラスありました。俺は当然のように1番下のクラスでした。たまたま同じ中学の藤川君が一緒のクラスにいたので、授業中はフジと遊戯王の交換して遊んだりしていました。
⇒昔の俺、ちゃんと勉強しろ
しかし、今でも恩師と思っている英語の大平先生との出会いが自分を変えました。SAPIXの頃の話はまた別の章で書けたら書きます。
SAPIXでの猛勉強を経て、中学校3年生の時の俺の偏差値は75を超えていました。本当に努力をしたし、本当にドラマチックな受験生活を過ごせました。そして、東京、埼玉、千葉、神奈川と関東一帯の難関高校に軒並み合格します。
⇒努力は変化を生みます
高校に合格して1番喜んでくれたのはおばあちゃんでした。この時、手書きの手紙を貰ったのですが、万歳!と何回も書いてありました。
父もこんなに喜んでるおばあちゃんは見たことがないと言っていました。
時は戻って2018年6月、父からメールが届きます。
「ばあちゃんが危篤だ」
そしてこうも書いてありました。「お前には8月の公認会計士試験がある。東京には帰って来なくていい、勉強に集中しろ」
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