憂鬱な気分で朝を迎えた。しかし俺にできる事は唯一教習を受ける事だけだった。
朝は宿舎までバスが迎えに来てくれて教習所に向かう。バスは時間が決まっているため乗り遅れるととんでもない距離を歩く羽目になるのだ。
眠気が残る目をこすりつつも俺はバスに乗り教習所に到着した。
まずは朝ごはんだ!とにかく食事をして元気を出そう!俺はそう思って食堂に向かった。俺はメニューを見てまたも愕然とした。
メニューはコッペパンとゆで卵のみだった。ジャムを二種類選べる事以外は俺に選択権は無かった。
刑務所…?いや、むしろ刑務所の方がもっと良いものを食べてる可能性もある。しかも恐ろしい事に、朝食のメニューはこれしかない。俺は1ヶ月近く毎日コッペパンとゆで卵を食べる生活を強いられた…!
俺は「卵は完全栄養食だから…コッペパンは炭水化物だから…」等と栄養学の知識を回顧して狼狽した。
⇒教習所は値段で選ぶな!
食事を終えたらついに教習の時間だ。バイクの免許は昔持っていて、峠やサーキットで慣らしていたため自信はあった。車は今回が初めてだ。
??「こらぁ!!何しとんじゃ!!」
教習コースに到着するなり激しい怒号が聞こえた。俺は何かの抗争が始まったのかと思い声のする方へ目を向けた。
バイクの教習を受けていたヤンキーが刑務官(教官)に叱られていた。
そう、ただ教官が注意していただけなのだ。岡山県は岡山弁だ。広島弁と似ていて関東生まれ関東育ちの俺からしたら迫力満点だった。って言うかめっちゃ怖かった。
⇒岡山弁の人ごめんなさい!
叱られるヤンキーを横目に俺は車に乗り込んで教官とマンツーマンで教習が始まった。俺が交差点の手前に差し掛かった時の事だった。
教官「安全確認じゃあ!!!1台たりとも見逃すな!!!」
教官にこう言われた俺は、戦争か何かですか?と思いつつ、交通戦争と言う言葉を思い出し一人で納得しながら安全確認をした。
その後も教官は、「そこは左じゃ!」「一時停止じゃ!!」等と指示をくれたが、語気があまりに強く恐ろしかった。
ここの教官はヤンキーを相手にしているからなのか、かなり高圧的な人が多く、まさに刑務官!という感じだった。
⇒優しい人もいました!
1番印象に残った教官は通称ヒステリックババア(以下ヒス)だ。声がめちゃくちゃ大きく、金切り声で注意してくるという特徴から教習生の間でこんなあだ名がついていた。
なぜか俺はヒスとの教習が多く、周りの人から哀れみの目で見られていた。こんな事があった。
ある日路上で教習を受けていた時のことである。
俺が運転していると、道路に白いひし形のマークが現れた。するとヒスはこういった。
ヒス「このマークの先には何がありますか!?!?」
俺「えっと…」俺はまごついた。正直覚えてなかった。
ヒス「横断!!!歩道!!!デス!!!!!」
特大の超大声の金切り声が俺の耳元で炸裂した。
俺は鼓膜が破れたのではないか?と不安になったが、なんとか音が聞こえていたので、力なく返事をして運転を継続した。
今でもひし形のマークを見るとこの時の事を思い出すトラウマレベルの出来事だった。ただ、生徒の記憶に知識を残すという観点からは素晴らしい教育だったのかも知れない…俺はひし形のマークを見たら誰よりも注意深く運転する事が出来るようになった。
⇒きぬえ先生ありがとう!
そんなユニークな刑務官に囲まれて俺の教習生活は過ぎていった。
その間に沢山の人が卒業していった。少し仲良くなってもみんな刑期を終えてシャバに戻っていった。
そう、俺は車とバイクの免許2つだから1番刑期が長かったのだ。
⇒刑務所じゃなくて教習所です!
やはり絶望を抱えつつも俺は教習をこなしていった。そして、ようやく後半に差し掛かって仲のいい友人が出来るのだった。
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